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私のルーツは神戸

神戸の風景

いくら外国が好きでも、日本の他の地域に魅せられても、自分のルーツはやっぱり変わらない。

久しぶりの祖父母との再会

何ヶ月かぶりに祖父母に会った。前回会った時よりも、みんなちょっとずつ元気がなくなっていた気がした。体に不調が出始めてきていて、一緒に過ごせる時間が限られたものだと思い知らされて寂しくなった。私は祖父母が大好きだ。もっとちゃんとじいちゃんばあちゃん孝行したいのにな、全然できてないな。

でも、祖父母みんなに人生があって、何十年と積み重ねてきた歴史があって、そのおかげで自分が生きていることを知る。この、誰か一人でもいなかったら自分はここにいない。辛い時代もあったと思う。でも、じいちゃんは写真を撮り、ばあちゃんは子育てに全力で投球して。母方のおばあちゃんがこんなに歌が好きなんてことも、知らなかった。自分の決めたらとことんやる性格とか、音楽好きなところとか、ちゃんと受け継いでるなって思う。

だからこそ、他の土地に行っただけで「自分はここの人だから」みたいな顔はできない。自分のルーツは神戸にある。自分のアイデンティティであって、世界中どこにいてもそれは変わらない。「居て居心地のいい場所」は他にあったとしても、やっぱり自分は神戸の人間だ。

神戸のアイデンティティを強烈に感じる場所

山の中の新興住宅街で育った自分は、いわゆる三宮とか本町という神戸らしい場所へ行くことはなかった。それなのに、なぜか神戸というとハーバーランドと湊川のイメージがある。ハーバーランドいいねえ。あそこは港が近くていい。神戸といえば古くからの港町だからなのか?ハーバーランドは神戸の顔。横浜にも負けてないぞ。

あと、湊川。あの古臭い感じ、神戸の象徴な気がする。商店街があったり、有象無象な感じ。なぜか神戸というと、あのあたりのイメージがあるのは私だけなのだろうか?神戸人に共通するものなのか?ちょっと知りたい。湊川って、本当は大きな川があったらしい。でも埋め立ててしまったと。ちょっと残念。

でもこうやって、いろんな場所が開発されて忘れ去られて、地名に残っているアイデンティティさえもいつかは変わってしまうと思ったらやりきれない気持ちにもなるし、それがこの世の理だからどうしようもないって気持ちにもなる。

自分のルーツを考えることが増える

沖縄の人たち、八重山の人たちは自分たちのルーツを大事にする。先祖代々の土地や家業を守り、昔から受け継がれてきた行事で神を奉る。音楽といえば三線、食べ物もちょっとずつ違う。同じ日本人ではあるけど、ルーツは確実に違う。言葉が通じる半分外国みたいな感じというか、やはり根っこの部分は違うと感じる一方で、そういう伝統を継承していっている姿には少しうらやましさも覚える。

この昔から続く綺麗な海を守っていく、とか、この島の産業を守っていく、この行事をつないでいく、とか。全員とは言わないけど、それぞれの人がミッションを抱えてる。それが強い。ただ生きている人間と、使命を持っている人間では強さが違うな。

そういう姿に触れると、じゃあ自分の場合は?となる。確かに、目に見えて色濃く残る伝統ってあんまりないかもしれない。けど、自分が話す言葉は神戸で受け継いできたものだし、豚まんとバームクーヘンが好きなのは神戸人のアイデンティティらしい。沖縄民謡ほど曲数はないけど、「きたきた音頭」とか「しあわせ運べるように」とか、神戸体操とかもあるし、よく考えると特有の文化の中で育ってきた。自分がどこの人って考えた時に振り返ることができるものがあるって、ありがたいのかもしれない。