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白保のうみんちゅ、名蔵の農家さん、石垣の人の情け

八重山 情け島

石垣の地元の人たちに会うと、情けを感じる。

お金儲けよりも、大切にしているものがあるのだと感じる。

競争しない美学

沖縄の人たちは競争を避けると聞いた。不用意な競争はお互いを消耗させると知っている。たとえ話で聞いたのが、「民宿はあえてそこまで綺麗にしない。綺麗にしすぎると他所もそうしないといけなくなって、競争が生まれる」と。本当かどうかわからないけど、もしそうだとしたら、日曜日は揃いも揃って休むところにも納得がいく。

なんというか、所得が低いという文脈で語られることが多いけど。本土の経済観念をこっちに持ってこない方がよい。そもそもの考え方が違うし、本土の経済観念を持ってきても幸せになる人はいない気がする。経済発展、っていうけど、それ以上に大切なものがあると気付かされる。

資本主義の典型的な経済活動をしている自分だけど、それでもやっぱりこの独自の豊かさには目がくらくらする。ああ、この余裕はどこから来るのだろう?と。自分もこの経済的な呪縛から解き放たれたいと、そう思ってしまう。東京で命をかけていたはずの競争が消耗的でバカらしく思える。

牛汁屋のおばちゃんとパイナップルのおばあちゃん、白保のうみんちゅ

牛汁

牛汁が大好きだ。どんなに暑くても牛汁を食べると回復する。

牛肉がゴロゴロ入った大盛り牛汁、ご飯おかわり自由で1200円。この量でこの値段は良心的だ。東京に行ったらこの倍は取られる。

真っ黄色の完熟パイナップル

名蔵でパイナップル農園を営むおばあちゃん。「ゴールドバレル4つください」というと、わざわざ畑に連れていって、完熟したものを収穫させてくれた。これも食べて、と切ったパイナップルを包んでくれ、さらにピーチパインもおまけでつけてくれた。

1人の客にたっぷり時間かけて、これでもかとおまけする。「4000円もらおうか」と言われたけど、あまりのサービスに5000円出したところ、とても喜んでくれた。忘れられない接客をしてくれた。

そして白保のうみんちゅ。普段は漁師をしながら、シュノーケルツアーもやっているとのこと。3時間たっぷり遊ばせてくれて、3箇所も移動して、でもたったの4000円。「島にいる人にはもっと海で遊んでほしいから」と。

情けだけではない、使命がある

この人たちには情けだけではなくて、使命がある。

サトウキビ農家のおじさんも、苦労していた。けど「島の産業だから。やっぱり続けないといけないと思う」と。

白保のうみんちゅも言っていた。

「漁師とツアーガイド、魚を取る仕事と海を見せる仕事で矛盾しているように見えるかもしれない。けど、自分はモリで突く漁をしている。成長した魚のみ狙うので、小魚を不用意に殺してしまうことがないし、必要な分だけ獲ることができる。夏は、漁獲量が増える。でも、消費者が支払う金額は変わらない。漁獲量が増えると、卸業者が安値で買い叩いて儲けるだけ。だから夏はぐっと我慢して、海を見せるツアーの仕事をする。漁獲量が減る冬こそ、時化た海に出て魚を獲る」と。

彼は白保の海の保全活動やゴミ拾いなども行なっている。

情けだけでない。使命もある。使命がある人たちは、強い。三線屋のオーナーもそうだ。「自分が三線を売り、基礎を教え、八重山民謡を習うまでの準備になれば」と。それはそれは熱心に教えてくれる。

なんというか、ここの人たちには使命がある。もちろん全員ではないかもしれないけど。地元を離れない理由がある。

自分たちが縁もゆかりもない会社で、やったこともない業種で仕事をするだけでは感じられない使命。必死になることはできても、使命感を持つことはできない。

やっぱり、自分の仕事はここにはないと思ってしまう。収入はよくても、幸せではない。使命を感じられる仕事をしなければならない。それはきっと動物の仕事で。動物の仕事といえば資金繰りが問題だからこそ、今の収入がよい仕事を手放すことにとても抵抗がある。お金がなくて惨めな思いを、したくないから。

情けのある商売がしたい

やっぱり、毎月毎月数字を追求して「売った」「売らない」はあまりにも人間的はないというか。そういうことをするために20年も勉強してやっと職に就いたと思うと、もの悲しささえある。

仕事は、金を稼ぐためにやるんじゃない。自分がやりたいことを、使命を果たしながら、その対価を受け取ることなんじゃないか。

でも、わからない。自分が進むべき道がわからないから、今日も迷いながら文章を書く。