キャリア。そんなもの気にして生きていくのか?わからない。
行き当たりばったりの自分には、キャリアプランというのものがない。
東京なんて壊れてしまえばいい
そう何度思ったことか。東京が崩壊してしまえば、会社の機能が止まる。仕事に行かなくてよくなる。そんな短絡的な思いから、何度も何度もそんなことを新卒1年目から考えている。
リモートの仕事をしている今もそうだ。東京が止まれば、すべてが止まる。
一体こんな思いで働いている人が自分以外にどれだけいるのだろう。社会人の総意だとは決して思わない。でも、こんな息苦しさや閉塞感を抱えて、日々思考を麻痺させながら仕事をしているのは自分だけじゃないはずだ。
キャリアプランとは
なまじいい大学を出てしまった、自分でもどこか「自分は特別だ」「自分は頭脳労働をしないといけない」「自分の学歴に見合う仕事をしていないと」と思ってしまう。フリーランスなのに。そこを振り切ることができた同級生たちは、生き生きとやりたいことをしている。
でも、自分にやりたいことがない。今の、ストレスフルだけと十分お金がもらえる仕事を投げ出す価値のあることが見つからない。
転職活動をして思ったが、「企業のために」と頑張るのは建前でしかない。自分のブランドや製品への愛を語れるのはいいことだけど、所詮人の作ったもの、と思ってしまう。自分はやっぱり自分が作ったもの、あるいは生きているもの、社会的に意義のあることにしか愛を注げない。
自分のことで精一杯になることもできない。人生、自分のためだけに時間を使うには長すぎるから。だからあらゆる動物は家族を残し、自分以外に守ったり尽くしたりする存在を作るんだろう。寿命が十分に長い動物は。虫みたいにすぐに死んでしまうものについてはわからないが。
プランなんてない、何ひとつ計画としてない。ただ、その時々に自分が一番熱中できて、使命感を感じられることに自分の命を使いたいと思うけど。わがままなのか。昔の人からしたら贅沢かもしれない。
自分を取り巻く暗くて重い布のようなもの
自分の肩に質量はないのに重くのしかかる布のような、カバーのような。これは「自分の仕事がうまくいってない」ということに他ならない。これでいいのだろうか。これで自分は次のレベルにいけるのか?
成長しているのか?わからない。今となれば、マーケターとして成長したいのかさえわからない。成長して、お金を稼ぎ、ポジションを手に入れてそれでどうなる?説得力は増すだろう。でも、そんなことのために自分は頑張れるのか?という気はしている。
でも、今この力不足のままで自分が本当にやりたいと思うミッションドリブンなところ、NGOやNPOに入ってしまうと、自分が何をしていいかわからずに嫌になって諦めてしまいそうな気がしている。だから、まだ修行期間というか、民主主義の中で揉まれる必要があるとは思っている。
でも、息が詰まる。自分は幸せじゃないと思ってしまう。こんな状況で何を成し遂げられるというのか。せめてチームがよければ、とも思うけど、他人に期待するのは筋違いだ。
今日も私はそんな気持ちを抱えて、パソコンに向かう。