石垣島で避けては通れない「八重山民謡」との付き合い方、私の場合。
民謡正直好きじゃなかった
石垣島に来て避けては通れない民謡。空港に着いた瞬間から、ありとあらゆるBGMが三線のゆっくりした音楽になる。
正直私は好きじゃなかった。わけがわからん。言葉の意味もわからないし、ゆっくり歌ってるだけで上手いかどうかもわからない。三線のこのなんというか、変わり映えしない音も聞いててイライラするくらい。それなのに地元の人たちはありがたがっているのがなんか悔しくて。疎外感を感じていた。
「この人たちは思い出補正がかかっているからこういうのがいいって思うんだ。こういう音楽を子供の頃から聞いてたらその分思い出も募る。思い出補正がかかっていて、音楽を聴くたびに思い出が蘇るから、それをいいと思っているに違いない」と解釈していた。
本州で聞いていた音楽とか、ましてや洋楽なんて一切BGMとして耳にすることがなくなって、この独特の音楽が日常すぎて「異文化だな。やっぱりここは日本じゃなくて外国なのかもしれない」と思ったりもした。
伝統的な古典を披露する会にも行ったけど、耳が育ってないからか何を聞いても同じに聞こえた。隣に座っていた子供が「早くでたい」と駄々をこね始めたタイミングで私もちょうど疲れたくらい、それくらい民謡に対する理解が自分の中になかった。
そんな私が八重山民謡研究所へ
最初は反骨心だったかもしれない。みんながありがたがる音楽の、その価値が自分にはわからないのが悔しかったのかもしれない。自分も曲を聞いて心を躍らせたいし、「この風景を歌ったのがあの曲か」と八重山の各所を巡る中で感じたいと思った。
歌を知れれば言葉も歴史も勉強できる。この、私がいる石垣島、八重山諸島のことをもっと知れると思った。そして多少の苦労をしたものの、「この方から習いたい」と思える方のもとで八重山民謡を教わることとなった。
こっちでは、「民謡教室」や「三線教室」とは言わない。「八重山民謡研究所」と呼ぶ。そして、インターネット上で発見できる情報が圧倒的に少ない。私の場合はありがたいご縁で先生とつないでいただいたが、教室を直接訪ねるか、あるいは電話をしてみるしかない。ある程度のネットワークや情報がないとたどりさえつけない、なんとも初心者に厳しい。
生まれも育ちも石垣育ち、品のある優しくてきれいな声の先生に出会えた。
その人が持つ経験と使命感
先生は惜しみなく曲の背景を伝えてくれる。地名、人名、言葉の意味。
ある日、先生は竹富島に伝わる本来の安里屋ユンタを歌ってくれた。その時、先生の目から涙が溢れた。先生に安里屋ユンタを伝えた人のことを思い出してしまったからだと。その人に、「本物の八重山民謡を次世代に残してくれ」と強く託され、その後すぐにこの世を去ってしまったらしい。
人から人へと背負った思い、使命、そしてこの地で育まれた経験。背負っているものの重さと量が違うと思った。こんな方から教えていただけることが信じられない。お稽古の1日1日を大切にして、わずかながらでも自分も積み上げていきたい。
自分は八重山の人間ではないけど、でも八重山の節で歌えるようになりたい。本物を歌えるようになりたい。そう思うようになった。
先生の歌う「つぃんだら節」
お稽古では十数曲をさらっている。覚えきれないから好きなものだけやろうと思い、「つぃんだら つぃんだらよ」というフレーズが耳に残った「つぃんだら節」を練習しようと決めた。先生の動画があがっているので、それを聞きながらまずは歌を覚えることにした。
「黒島から石垣の野底に強制移住させられ、離れ離れになった男女の悲恋を歌った曲」らしい。
先生の歌う「つぃんだら節」の切なさといったら。山に登り、彼が住む故郷の黒島を見ようとするけど見えるはずもなく。メールや電話、ましては写真さえなかっただろう時代に。彼を想うのに、この女の人は島を見ることさえできなくて。その悲しみを乗せるような歌声で、きれいで、でもすごく寂しい歌い方だった。
歌いつぐことで当時の二人の慰めになれば、なんて決して言えないくらい。ただ、この歌を残していくことしかできない。二人の無念は永遠に晴れない。
そのやりきれなさを思うと、自分まで涙が出てくる。ぼろぼろ出てきて止まらなくて、歌の練習さえできない。
まさか自分が八重山民謡の1曲にここまで感情移入してしまうとは思わなかった。でも、すごく、この文章を書いている今でも悲しい。その二人の悲しみが、先生の歌に乗っている。本物の八重山民謡ってこういうことなのか。先生の歌には心があるんだな。これが「たのーる」、情緒なのか。
先生はまるで糸をつむぐように、丁寧に丁寧に歌を歌う。何百回、もしかすると何千回歌ってきた歌もあるかもしれない。でも、そんなこと感じさせないくらい、丁寧に丁寧に歌う。その姿があまりにも尊い。
長期でいるなら民謡習うのめちゃくちゃおすすめ
どんな先生と出会えるのかっていうのは運も縁もある。でも、それでも石垣島や八重山のどこかに長期滞在するなら江民謡習った方がよいと言える。行事のたびに民謡で盛り上がっている地元民を見て疎外感を感じることもなくなるし、地名が出てくるから単純におもしろい。歌えるようになるまでに相当な忍耐がいるけども…。
バリバリの石垣しまんちゅの先生に教えてもらいながら八重山を巡っていると、受け取る情報量が違う。
だからこそ、音楽として好きな奄美民謡なのに、自分の中で持っているものが圧倒的に少ない気がしてしまう。二つを両方一気にやるのが無理な話かもしれないが、プロじゃないんだから好きなことやったらいいと思って。気持ちが乗りやすく心の叫びのような奄美民謡でも、風景が浮かばない。7、8年前に数日訪ねただけの奄美(しかも特にいい思い出はない、なんなら海で死にかけた)では感じるものが少なくて当然だ。
もうしばらく八重山にいたいけど、でもどこかのタイミングでちょっと奄美住んだ方がええわ、と思う。旅行じゃなくて、ちゃんと生活して。
自分の未来はどうなるのか。1ヶ月先もわからんような日々だけど、積み重ねていこう。