八重山の旧盆、アンガマ。青年会の人たちが、自分の時間を何時間も使い、しんどい思いをしながらも3日間アンガマをやり遂げる。そこにしか宿らない神がある。
この価値観の中、今の仕事をするのはなかなか辛く、切り替えが必要だ。
旧盆のアンガマ

旧盆。ソーロン。本州のお盆から少し遅れて祝う、沖縄のお盆。この時期になると旧盆は何日からですよ、とスーパーなどに貼り出される。マックスバリュのおかげで色々とキャッチアップできている。
旧盆といえばアンガマ。じいさん、ばあさんのお面を被った二人と顔を隠したご一行が各地を回って踊りを披露する。じいさんはウシュマイ、ばあさんはンミー。どちらも男性が演じるのが慣例のようだ。顔を隠して花笠を被り、浴衣を着たご一行はファーマーというらしく、じいさんばあさんの子孫らしい。この30人、40人規模で街を歩き回る。
ウシュマイ、ンミーが踊る「にんぶちゃー(念仏踊り)」は7月に入ってからでないと練習してはいけないらしい。与那国でも同じことを聞いたな。この踊りが、またいい。振り付けはないのだろうか?ウシュマイ、ンミーが手を広げて舞う。まるで、空を飛んでいるかのように、独特な開放感があってこの世の踊りとは一線を画している。
また、踊りや歌の最中、ファーマーたちが同じリズムで首を左右に振る。まるでそこに意思は感じられなくて、なぜか無機質に感じる。それが、またあの世からの使者を思わせる。
八重山民謡にあわせてファーマーが数曲披露し、裏声で叫ぶようにウシュマイ、ンミーは話し、観客とやりとりをする。それが一般家庭でも行われ、八重山警察署や港、ホテルなどでも見ることができる。
八重山警察署ではウシュマイ、ンミーがパトカーから出てきた。最高の予想外の演出に観客一同おおよろこび!

アンガマのスケジュールは青年会ごとに異なり、実施の時間と場所が八重山毎日新聞に掲載される。本当に21世紀か?
ゆらぐ自分の価値観
この人たちは一体何のためにやっているのだろうか、と思う。楽しいから?自分のため?文化や伝統の継承のため?
3日間拘束されるのはもちろん(トゥズミを合わせると4日間)、毎日深夜すぎるくらいまで集まって練習をするらしい。夕方といっても暑い中、5時間も6時間も役になりきる。
「自分の時間が一番大切」「時間が一番貴重」そんな資本主義の概念が、いとも簡単に砕けてしまう。この人たちは一体なぜここまで躊躇なく時間を使うことができるのだろう。この人たちを突き動かすのは何なのだろう。それは、土地柄ということで終わらせていいのだろうか。やってきてもらったことを還元したい?八重山の文化を継承したい?みんながみんな、志を持っているのだろうか。
不思議でたまらない。
ITの仕事は沖縄に向かない
私は八重山民謡を知り、もう出てこれないくらいまで片足をつっこんでしまっている気がする。リモートワークで沖縄!みたいな浅い関わり方なら楽園かもしれない。
でも、この八重山の価値観の中で近代的な資本主義ど真ん中、外資ITという仕事を続けることは向かない。自分がやっていることが何なのか、なぜやるのか、その根本が揺るがされて疑問が絶えなくなる。高い料金でソフトウェアを売る。その分見返りが大きい。でも、これって本当は何のためにやっているのだろう。何の価値があるのか。何の意味があって、毎日ストレスを抱えながらこの仕事をしているのか?
多分、この土地の人たちはITの仕事はしていない。一回の給料はITほど多くないかもしれない、でも、追われていない。心の余裕、時間の余裕。
自分の時間を、他の人のために惜しみなく使うことができる。おもしろくない、ためにならない、金にならない、なんてクソつまらない理由を並べたりせず、とことん付き合う。
なんというか、自分の今までの価値観が根本から崩れそうになっている。今、自分はこのままでいいのだろうか。これで幸せなのだろうか?そういうことを日々考える。時間でしばられる仕事は向いていないけど。仕事か。何をすべきなんだろうか。