よい島、情け島。帰ってきたくなかった、ずっといたくなる島。
いつもは石垣が恋しくなるものだけど
今回は、もっと与那国にいたいと思った。なんというか、計り知れない。底知れない。
日本最西端の島ってこと以外でも、八重山の人が与那国のことを少し特別に扱っているような気がしていた。地元の人が歌う場では、必ず与那国の歌が出てくる。そして必ず出てくる「情け」という言葉。
八重山の人たちは情けで商売しているなーって思うことが何度もあった。そんな情けの八重山諸島の中でも「情け島」の与那国。一体どんなところなのか。
与那国はとにかく計り知れない

半野良の与那国馬。透明度が高すぎる海。断崖絶壁と溢れる緑。長命草、あざみ麺、カジキ。そして日本で一番最後に沈む太陽。島のところどころにある歌碑。
なんというか、もう、何もないっていうけど、いろんないいものがありすぎる。
独特の物悲しさ、もの寂しさを秘めている気がする

最初、与那国交流館DiDiに行った。そこでは台湾との交流の歴史がメインに紹介されており、もしかして台湾寄りの文化なのか?とも思った。
そこでは、「戦時中でも比較的食べるものに困らなかった」と紹介されていて、なので八重山の離島の悲惨な歴史はないのか?と感じた。
でも、私設資料館でお話を聞くと、マラリアで多くの人が命を落としてきたらしい。さらに、妊婦に飛ばせたという崖の割れ目「久部良バリ」や「トゥングダ」という人減らしの話もある。自分が一瞬でも感じた明るさみたいなものが勘違いだと知る。
この島は、あまりにも遠い。もっとも儲かる産業は観光業とのことだ。さとうきびの作り手も減っているらしい。もう二度と会えないかもしれない、という前提の出会い。この孤島で生きている者どうしだから、とかけられる情け。
この島には計り知れない苦労がある。それでも、「与那国島 良い島」と歌う。隠しているわけではないけど、そういう色んなものを包み含んだ上での歌だと思うと、なんとも言えなくなる。
でも、悲壮感ばかりでもないのが事実で、住んでいる人たちは明るくて元気で。時間に追われることなく豊かに強く生きている。そんな与那国の人たちを尊敬するし、私はとても好きになった。
文化は沖縄寄りなのか
日本の最西端の与那国には、どんな文化があるのかとワクワクした。確実にここでしか育まれなかった独特の文化があるはずだが、4泊しただけではその真髄までは見ることが叶わなかった。
一見、琉球寄りの文化に感じられた。意外とちゃんと沖縄なのか、と。琉球王国の支配が与那国にまで行き届いていたのだろうか。エイサーをしたり三線を弾いたり。でも、沖縄本島や石垣と違って、民謡居酒屋みたいなものはなかった。
「この島では、行事以外で歌って見せたりすることはあまりよしとされない。旧盆で歌う歌も、8月になってから練習しなさいと怒られた。7月中に歌うのはみっともない、と。」と教えてもらった。今では三線を教える人も減ってしまい、島に伝わっていた踊りを知っている人もいなくなってしまったらしい。
それでも、観光客には見えないところで脈々と受け継がれている文化の片鱗を感じることができた。大丈夫、与那国の歌は途絶えない。そう思う。与那国に歌の修行しに行けたら面白いけどなあ。与那国で、与那国の歌い手から与那国の歌をたくさん習えたらな。そういうのもタイミングだと思うから、ご縁を待つことにしよう。
与那国馬たちをどうするのがよいのか?

与那国馬たちは140頭前後いて、放し飼いされている。餌は芝生の草で、1日中食べているにもかかわらず肋骨が浮いている馬が多い。皮膚も傷ついている子たちが多く、おそらくアダンの葉にやられたのではないのかと思う。馬小屋がなく、雨風はアダンの陰で凌いでいるそうだ。
なんというか、難しいと思う。与那国馬は生活の中で使われていた馬だったらしい。すでに与那国の人たちは馬のいらない生活を送っている。
この半野良状態が、今できる共存の形かもしれないけれども。活路を見出さないと淘汰されてしまう。観光用の牧場をやっているところもある。人の生活に入って、そうすることで最大のケアを馬に提供できるような、そんな状態になるといいのだけど。
自分は動物が好きすぎる。好きすぎるあまり、距離感が近くなるとすぐに「もっとこうしてあげてたい」「これでいいのか?」と福祉的な側面を考えてしまう。人と生きる動物は、最大限に幸せで快適でいるべきだと信じている。それができないから苦労しているし、私も苦しむのだけど。
この島にもっと豊かになってもらえれば、馬たちの苦労も減るのだろうか。これは、宿題として考え続けよう。
レッテルの貼れない島
与那国は、「こういう島」ってレッテルが貼れない気がした。懐が深いというか。他の離島もそうっちゃそうだけど。なんというか、ほんと計り知れない。今まで学んできた八重山の歴史や常識と通じる部分はあるけど、でもまた違う部分もたくさんあって。
なんというか、島との絆を感じるというか、それは馬のおかげかもしれないけど。自分が何か返したい、と思える島だった。
そして、クレジットカードと免許証を落としたけど、島の方が拾って送ってくださった。あまりにも情けを感じた…。お礼に石垣牛をお送りしよう。
どぅなんむすい講座に参加する
ちょっともうこれ以上予定入れるのはどうかな…とも思ったけど。でも、どぅなんむすい(与那国方言)講座に参加することにした。
与那国の歌をちゃんとわかりたい。八重山の人たちが持つ、与那国への特別な思いみたいなものを感じたくて。西表とか、小浜とかじゃないんだよなあ。新城とかはちょっと特別かな?でも、与那国はこう何か憧れみたいなものを感じるから、それが言葉に隠れてるかなと思って。
この秋から、Mabu-eという講座に参加予定。「沖縄語学校」としている。外国語学部出身で、いろんな言葉を学ぶのが好きだ。(使えるようになるのはまた別の話)
でも一つ、沖縄の方言も日本の言葉でできている。三線のクンクンシーみたいに、漢字ベースで書いた方が絶対わかりやすいし意味も取りやすい。カタカナで表記するのに私は反対派。そう考えると、漢字って本当にすごい発明だと思う。人類の言語史上一番の発明じゃない?まあ象形文字とかと概念は一緒かもしれないけど。
一文字で意味まで表せる表意文字、本当にすごい。